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2017年9月11日 (月)

「おはよう」をいただく

私の自宅から徒歩五分。


往来の激しいバス通りに、ひっそりとたたずむ肉屋がある。
八十代のご夫婦が営むこのお店は、五十年以上前から、
ずっとそこにある。

風雪に耐えた木造の店舗と、高齢のご夫婦。
近所の住人は、みな敬意を表して「栄屋さん」と呼んでいる。

「いらっしゃいまし」。

年季の入ったショーウインドーから、背伸びをするように
顔を出す奥さん。

彼女の揚げるチキンカツは絶品だ。

その横でご主人は、黙々と肉の塊に包丁を入れている。

愛想はない。

けれど、それが栄屋さんのずっと変わらない姿勢でもある。

数年前までは、お店の並びに、豆腐屋も八百屋も蕎麦屋も弁当屋もあった。
でも今は、全てシャッターで閉ざされ、灯りがともっているのは栄屋さんだけ。

夕方、お店の前は、仕事や買い物帰りの客たちで賑わう。

「肉や揚げ物だけは、栄屋さんで買う。」

それが、この地域の人たちの常識であり、栄屋さんへの無言の応援でもある。
今朝、私はお店に向かうご夫婦を見かけた。

ふたりで手をつなぎ、前だけを見て、背中を丸めたまま、小さな歩幅で歩いている。

お店で会うよりも、ずっとずっと小柄なふたり。

「栄屋さん、おはようございます」

思わず声をかけると、ふたりはスローモーションのようにゆっくりと立ち止まり、
息をつき、私の方を見て言った。

「おはようございまし」

奥さんの小さな声。
語尾が、上手く聞き取れない。

ご主人は相変わらず黙ったままで、かすかに会釈を返してくれたような、
くれないような。

小走りだった私は、そこで立ち止まり、ふたりの反応を受け止めてから、
ゆっくりと歩き出した。

軽くない「おはようございます」もあるのだ。

丁寧に確実に日々を重ねて発せられる「おはようございます」もあるのだ。

言い流せない、聞き流せない、そんな「おはようございます」を、私は今、
いただいたのだと思った。

振り返ると、ふたつの小さな背中に白い朝日が当たっていた。