2017年11月 9日 (木)

彼女がその名を知らない鳥たち

沼田まほかるさん原作の小説「彼女がその名を知らない鳥たち」が
映画化されたので、観に行った。


映画のキャッチコピーは、

共感度0%
不快度100%

最低な女と男がたどり着く究極の愛とは…

ということだったので、どのくらい私が不快になれるのか、
ワクワクしながら観た。

原作は、未読。

蒼井優さん演じる、だらしなくて男に依存している嫌な女。
阿部サダオさん演じる、不潔なストーカー男。
松坂桃李さん演じる、スカスカペラペラのゲス男。
竹野内豊さん演じる、女を利用しまくるDV男。

この4人を中心にお話が展開するのだけれど、私、

わ~!最低!!

と、嫌悪感を抱くことは…

なかったな。

不快だなんて、まったく、思わなかったよ。

いるいる、こういう人。
いや、思った以上にたくさんいるよ、こういう人たち。
いやいや、まてよ。
私の中にも、いるわ、この人たち。

という感じで、なんと共感度100%で、いちいちわかるわかると
納得しながら、観てしまった。

なんだか、ラストシーンで、ぐっと来たりもして。

私、どうやら最低でゲスな女のようだ。

4人の演技が、また素晴らしい。
そして美しい。

これ、美しい人が、最低を演じるからちゃんと表現になって
観客に届くのだということが、よくわかる。

だからこその、この配役だったのだろうと。

松坂さんの空っぽの目。
竹野内さんの、凶器を宿した目。
そして、阿部サダオさんの孤独と、慈愛を湛えた澄んだ目。

上手いなぁと唸った。

世間から、最低だと思われるであろう人たちの中にある、
かすかな光を感じられる作品だと思う。

帰宅時に、原作を購入。
また眠れない夜が続きそう。

2017年11月 8日 (水)

ナメタケワスレタ ~②

そのシャンソンのお店は、私が歌い手としてデビューする以前からお世話になっていたお店だった。

女性オーナーは歌手でもあり、若手育成にかけては非常に厳しいことで業界でも有名な人だ。
いい加減な態度でステージにのぞむと、即刻首が飛ぶ。

私はほとんど毎日のようにレギュラーで歌う機会を与えられていたが、戦々恐々。
叱られるのが怖いので、なるべく目を合わさないように大人しい人のふりをして過ごしていた。

ある日、オーナーのステージが始まる前にお客様から呼びとめられた。

オーナーに百万本のバラをリクエストしたいのですが

百万本のバラは当時とてもヒットしていたシャンソンだった。

はい、ありがとうございます

とにこやかに笑って、小さなリクエストカードに曲名を書いてオーナーに渡した。
ステージが始まりオーナーが一曲目の歌を歌い始めた直後に、ひとりのスタッフが
血相を変えて私の所へ飛んできた。

こ、このリクエストカード書いたの浜田さんですよね?

スタッフが振りかざす小さな紙切れを手に取って見た途端、私の全身から血の気が引いた。
そこには私の字でしっかりとこう書かれていた。

百万本のバカ

う…うそ…これ、私が書いたんじゃない
でも、これ浜田さんの字ですよね
あ…うん、え~?な、なんかの間違いじゃ…

誰かが私を落とし入れようとしているのかとも思った。
だが、文字はボールペンで黒々と書かれ書き直された形跡はない。

たとえて言うなら一週間も餌を食べていないライオンの檻に入り、ニコニコ笑いながら
バ~カ!」と言って踊ってるような錯乱の極みの行為なのだ。

叱られた腹いせなら、もっと他に手がある。

寄りによって「バカ」と書いて渡すなんて。
しかも30歳過ぎた女が…

ここ暗いからさ、気が付かなかったかもしれないよ」先輩の歌い手が慰めてくれたが、
一曲目を歌い終えたオーナーがステージで言った。

リクエスト曲、百万本のバラを歌おうと思ったんだけど、バカって書いてあったからやめます

…終わった…

無意識とは、恐ろしい。

心にいろいろ溜め込んでいると、限界に達した時とんでもない形でそれが噴出する。
その後クビを覚悟で正直に謝ったら

あんた、普段からそう思ってるんでしょ

と憮然とした表情で言われたが、臆面もなく「バカ」と書かれた事をどう受け止めていいのかご本人も解らなかったらしく、うやむやになってこの話は終わった。

以来私は心に溜め込む事を止め、良いことも悪いこともなるべく口にするようにしている。

そうすると、こういった無意識の失敗は少なくなったが、余計なことを言い過ぎて失敗する
ようになった。

まったく、要領の悪い女である。

夫がテレビを見ながら、何かつぶやいている。

この、オオバクマコってさぁ
それ、大場久美子でしょ

似た者夫婦ってとこか。

(2002年夏記す)

ナメタケワスレタ ~①

夜中に夫が突然叫んだ。

ナメタケワスレタヘェーノソー
な、何を言ってるんだ、あんたは!
いや、だからぁ、ナメタケワスレタヘェーノソー
はぁ?!

話は数時間前に遡る。
私は、武蔵坊弁慶について夫に質問した。

あのさぁ、弁慶みたいにお坊さんでもあるし、武器を持って闘っても
強い人たちっての事って何て言うんだっけ?

結局そんなものに名前なんてないということで決着がつき、この話はそれで終わっていた。
ところが布団にもぐり込んだ途端、夫は何やら思い出したらしい。

ほら、あれ、何だっけ…忘れた…兵の僧と書いて…

と必死に私に説明をしかけた。

だが私の耳には「ほら、あれ、ナメタケワスレタヘェーノソー」としか
聞こえてこない。

この、あまりにもふぬけた語感と全く意味不明の日本語がやたらに可笑しくて
ヘェーノソーヘェーノソー」と言いながらしばらく笑っていた。

私は言語能力を司ると言われている左脳のネジが相当ゆるんでいるらしい。
言い間違い、聞き間違い、書き間違いでの失敗は数知れない。

以前歌っていたシャンソンのお店で「では、聞いてください」と言って歌い始めるところを、
もっときれいな言い方に変えようと頭でごちゃごちゃ考えていたために
では、聞かせてあげる、ます。」とやってしまった。

お客様に向かって「聞かせてあげる」とは言語道断の話だ。

その上とって付けたような最後の「ます。」とはいったい何なんだ。

す、すいません」とは言ったものの、この高飛車な間違いのせいで惨憺たるステージになった。

銀巴里という老舗のシャンソン喫茶でもやらかした。

パリの猥雑な町で生まれ育った娼婦の歌を歌います」と言うところを
パリの猥雑な町で生まれ育った娼婦が歌います」と言い放った。

すかさず客席から「そりゃ、あんたのことかい!」とつっこみが入り
え?ち、違います私、広島出身です」と訳の解らない訂正した。

しかし「パリの猥雑な町で生まれ育った娼婦の歌」を自分が歌っていたというのも、ちょっとすごい。

こうして笑っていられるうちは良い。
未だに思い出しただけで変な汗がでそうになる失敗もある。

(2002年夏・記す)

つづく

2017年11月 7日 (火)

「第三回 藤本義一文学賞」受賞

2009年から5年以上も、ひとつの映画製作に携わっていて気づいたのは、
たくさんの人が関わる現場は、自分の思い通りの表現を形にすることは、
とても難しいということ。

どうしたら、本当に表現したいものを、真っ直ぐに伝えることが出来るのだろう。

私、ずっとずっと悩んでいた。

そしてある日、「あ!書くことができるかも!」と思ってしまった。

思い立ったが吉日。

その日、新聞を開いたら、東京作家大学の3期生募集の広告が出ていた。
さぁ、どうぞ、いらっしゃい!というタイミングの良さ。

波が来たら、乗ってみるに限る。

そして、入学してみたら、まあ、書くことが楽しい楽しい!!
快感ですらあるのだ。

どうして今まで、こんな楽しいことを、おざなりにしてきたのだ私。
き、気持ち良いじゃないか!!

ということで、調子に乗って、初めて小説なるものを書いてみた。
さらに調子に乗って、公募にも出してみた。

そうしたら、運の良いことに、まさに運でしかないと思うのだけれど、
特別賞をいただけることになった。

第三回 藤本義一文学賞」。

こんなことってあるんだと、震えた。
すごくすごく、励みにもなった。

そして、10月30日。

藤本義一先生の命日に、授賞式と偲ぶ会の「蟻君忌(ありんこき)」が
開催されるとのことで、ご招待していただいた。

会場のリーガロイヤルホテル大阪。

O0480064014060876960

美しい。

目の前は、淀川のリバーサイド。
えらくおしゃれで、びっくりした。

私が住んでいた40年前の大阪とは、別の街に進化していたぜ
大阪シティ!!

O0640048014061074666

私、赤いリボンを胸に付けたのは、初めて。
素直に嬉しい!

O0640048014060864170

審査員の先生方と、受賞者の皆様。

O0461034614059742159_002

夢のようなひとときを過ごさせていただいた。

お前、方向は間違っていないから、書き続けろ!

と、先生方から背中を押していただいたような気がする。

ありがとうございます。

私の拙い作品を、見つけて下さった皆様のお気持ちに恥じないよう、
しっかりと書き続けます。

そしてこの際なので、自分自身の力を1ミリも疑わずに、
大恥かきつつ生きてやろうかと思っています。

調子に乗って、すみません。
でも、本当に嬉しくてたまりません。


O0480064014060875916

受賞作が集められた作品集が、来年1月に出版予定。

ぜひ!   

2017年10月 5日 (木)

無口なリンゴ おしゃべりな桃

リンゴは、何にも言わない。

唇を寄せたって、黙ったままだ。

これは、戦後に流行った歌から刷り込まれた印象なのだろうけれど、
実際、北国から上京してきた「無口で純朴な少女」というイメージが、
リンゴにはある。

だけど、桃は違う。

かなり、おしゃべりだ。

主張の激しい「わがままな女王」のようだ。

皮からして、艶めかしい。
細かい産毛も、下膨れの曲線も、なかなか挑発的ではないか。
色白の肌にそっと唇を寄せると、濃厚な香りが一気に鼻の奥に
飛び込んできて、こちらの神経を急速に弛緩させる。
恐ろしい。

「ほら、早く食べなさいよ

「な、なんなんだ。その態度は」

だって、食べたいんでしょう。私を

「い、いや、食べたいが、食べたくない、ような、あるような……」

ねぇ、早く食べないと、水分が抜けてシワシワになっちゃう

「な、なっちゃうとは何事だ。こら、桃! 甘ったるい鼻にかかった声で、
私を誘惑するのは、やめろ」

きっと、かじると果汁が滴り落ちる。美味いに決まっている。
わー、わー、もうダメだぁ。

ダイエットは、明日からにする。

「いただきます」

2017年9月25日 (月)

愛しの勝新太郎さま~舞台裏の宝物 -3-

力のある役者は、こうして自分を生かし相手役も自分の存在そのもので

生かすことが出来るのだった。

旅の間中、この天才の技を幾度も堪能させてもらった。

公演も終盤を迎えたある日、勝さんからホテルのラウンジに来るようにと
呼び出しが掛かった。

緊張して出掛けた私の眼に、ぽつんとひとりでお酒を飲んでいる勝さんが映った。

いつも沢山の人に囲まれていた勝さんがひとりでいるのを見たのは、
その時が初めてだった。

私を見つけると手招きをして自分の横に座れと言う。

怖いことになった。

センセイなにをする気なんだと硬直していると、次々に「売られて行く貧しい娘」
のメンバーがやって来た。

そりゃそうか。私一人のはずがない。

勝さんは、ちょっと寂しかったらしい。

私たち女の子を相手に大いに歌い、飲み、踊った。

夜も更けてきた頃、唐突に尋ねられた。

「お前、彼氏はいるのか?」

聞かれた人達はみんな、すんなりと「います」と答えた。

困った。
私は当時、自分のことにいっぱいいっぱいで恋愛をする余裕はなかった。

余裕で恋愛をするものではないと思うけれど、とにかくそんな相手は
まったくいなかった。

私以外のひとはみんな「いる」と答えている。

「雅美(私の本名)、お前はどうなんだ?」

あぁ…まずい…

「い、います」

張らなくていい見栄を張ってしまうのである。

勝さんは私の眼をじっと見て、ふっと笑ってこう言った。

「神様ってやつぁ、良くしたもんだなぁ…」

センセイ…どういう意味ですかぁ…勝さんは声を上げて笑っていた。

1997年6月21日、勝新太郎さんはこの世を去った。享年65。

不世出の役者だった。

ちんまりとまとまって来た芸能界に、勝さんは収まりきらなかった。

それくらい大きな存在だった。

心の地面はいつでもやわらかくしておけよ

あの渋い声が聞こえて来る。

地中深く眠るマグマのようにグラグラ、フツフツと動かしておくんだ。

とてつもないものが、そこから飛び出してくる可能性があるから。

カチカチに固まった地面からは何も生まれては来ないんだよ

18歳からの数年間、ほんの少しでも同じ時間を生きる事が出来た。

幸せだったと思う。

私にとっては今でも、役者・勝新太郎は、優しくて偉大で寂しがりやな
「勝センセイ」なのだ。

センセイ、あれから20年以上経ちました。
ほんとうに神様ってやつぁ良くしたものみたいです。

役者としては上手く行かなかったけれど、なんとか元気にやってます。

センセイ、いい作品、撮れてますか?

(2002年夏記す)

2017年9月23日 (土)

愛しの勝新太郎さま~舞台裏の宝物 -2-

舞台の袖で成り行きを見ながらそう思いはしたが、この子供っぽさが
天才たる由縁でもあるのかなと、変な納得をしながら見ていた。

そしてようやく千秋楽。

ついに勝さんは「宮本武蔵に出たい」と言い出した。

ラストシーンで、武蔵と僧兵の大立ち回りがある。

そこに出るんだと言ってきかない。

10数人の役者に混じって、僧の衣装をつけ頭巾で顔を隠した勝さんは、
嬉しそうに武蔵と闘って斬られていた。

もちろんお客さんはその他大勢の中に勝新太郎がいるとは気付かない。

中村嘉津雄さんは迷惑だったに違いない。

だが、やはりこの人はただでは引っ込まない。

中央に大きな滝のセットがある。

その右側の少し高くなった岩場に武蔵が立ち二刀流の剣を振りかざして、
大きく見栄をきる。

ラストの決めのポーズだ。

その足元には、斬られた僧兵がごろごろと転がっている。

勝さんも当然そこに倒れているのだが、武蔵のポーズが決まった
瞬間にむっくりと起き上がった。

私もスタッフも、そこにいた全員が息を呑んだ。

勝さんは、舞台の上に落ちていた長槍を拾いぐわんぐわんと回しながら
滝の左側へひらりと飛び移った。

そして、滝の上方で立ち尽くす武蔵に、スローモーションのように
ゆっくりと狙いを定めて、低く鋭く槍を構えた。

それは激しく落ちる滝を挟み、あたかも二匹の龍と虎が睨み合っているような、
壮絶なシーンになった。

時が止まったようだった。
凄惨なまでの美しさ。

研ぎ澄まされた武蔵の精神が場面全体にくっきりと浮き彫りになったような
一瞬だった。

ここで、エンディングのテーマ音楽が鳴り、緞帳が静かに下りた。

袖で見ていた全ての人が、その瞬間、腰が砕けたようにへたり込んでしまった。

アドリブでここまでやってしまうのである。

力のある役者は、こうして自分を生かし相手役も自分の存在そのもので
生かすことが出来るのだった。

旅の間中、この天才の技を幾度も堪能させてもらった。

公演も終盤を迎えたある日、勝さんからホテルのラウンジに来るようにと
呼び出しが掛かった。

緊張して出掛けた私の眼に、ぽつんとひとりでお酒を飲んでいる勝さんが映った。

いつも沢山の人に囲まれていた勝さんがひとりでいるのを見たのは、
その時が初めてだった。

私を見つけると手招きをして自分の横に座れと言う。

怖いことになった。

センセイなにをする気なんだと硬直していると、次々に「売られて行く貧しい娘」
のメンバーがやって来た。

そりゃそうか。私一人のはずがない。

勝さんは、ちょっと寂しかったらしい。

私たち女の子を相手に大いに歌い、飲み、踊った。

夜も更けてきた頃、唐突に尋ねられた。

「お前、彼氏はいるのか?」

聞かれた人達はみんな、すんなりと「います」と答えた。

困った。
私は当時、自分のことにいっぱいいっぱいで恋愛をする余裕はなかった。

余裕で恋愛をするものではないと思うけれど、とにかくそんな相手は
まったくいなかった。

私以外のひとはみんな「いる」と答えている。

「雅美(私の本名)、お前はどうなんだ?」

あぁ…まずい…

「い、います」

張らなくていい見栄を張ってしまうのである。

勝さんは私の眼をじっと見て、ふっと笑ってこう言った。

「神様ってやつぁ、良くしたもんだなぁ…」

センセイ…どういう意味ですかぁ…勝さんは声を上げて笑っていた。

1997年6月21日、勝新太郎さんはこの世を去った。享年65。

不世出の役者だった。

ちんまりとまとまって来た芸能界に、勝さんは収まりきらなかった。

それくらい大きな存在だった。

心の地面はいつでもやわらかくしておけよ

あの渋い声が聞こえて来る。

地中深く眠るマグマのようにグラグラ、フツフツと動かしておくんだ。

とてつもないものが、そこから飛び出してくる可能性があるから。

カチカチに固まった地面からは何も生まれては来ないんだよ

18歳からの数年間、ほんの少しでも同じ時間を生きる事が出来た。

幸せだったと思う。

私にとっては今でも、役者・勝新太郎は、優しくて偉大で寂しがりやな
「勝センセイ」なのだ。

センセイ、あれから20年以上経ちました。
ほんとうに神様ってやつぁ良くしたものみたいです。

役者としては上手く行かなかったけれど、なんとか元気にやってます。

センセイ、いい作品、撮れてますか?

(2002年夏記す)

2017年9月22日 (金)

愛しの勝新太郎さま~舞台裏の宝物 -1-

いよいよ公演が始まるという矢先に萬屋錦之介さんが病に倒れた。

急遽、弟の中村嘉津雄さんが代役に立つことに決定し「宮本武蔵」と「座頭市」の

超豪華二本立ての旅公演が始まることとなった。

甘い考えでお恥ずかしい限りだが、私にとってはまさに修学旅行。

しかも勝新太郎さんとの旅だ。楽しくないはずがない。

出演といっても、舞台をキャーキャーと言いながら通り過ぎる京都の町娘と、

貧しい娘「おさわちゃん」の二役だけ。

セリフは「とっつぁま~」の一言。
時間と余力は充分にある。

勝さんとの時間はお宝の山だもの。
ひとつだって無駄にしたくない。

勉強と称して、いつもピッタリと張りついていた。

舞台の袖で厳しい顔をしていた勝さんも、板に乗っかれば水を得た魚。

酒好き女好きの異色のヒーロー「座頭市」を天真爛漫に演じていた。

その上次々とアドリブをやっては客席を大爆笑に巻き込み、最後にはきっちりと泣かせる。

場の空気を自由自在に操っていて、眩しいくらいに素敵だった。

ところが、出番のない時の勝さん。
こちらもケタ外れだった。

遊女は命からがら女郎屋から抜け出し恋しい男の元へ走った。

男は困惑している。
惚れた女を地獄から救いたい。

だが自分が女を受け入れることはふたりの死をも意味する。

男と女の情感あふれる切なくも美しいシーンだ。

そのセットの裏でこともあろうに勝さんは、出演者にだけ聞こえる声で卑猥な歌を

延々と歌っているのである。

またある時は、必死で演技をしている出演者の目の前のふすまに、
裏からびりびりと穴をあけ、覗き込んでウィンクしたり指でもって
なにやら妖しげなサインを送ったりしていた。

その時出演していた西村晃さんは、真っ赤になって全身を振るわせ、
泣きながら笑いをこらえていた。

センセイ…子供じゃないんだから…

つづく

2017年9月21日 (木)

愛しの勝新太郎さま~そして旅は始まった -3-

私は力なく列に並びながら、全身が小刻みに震えていた。

嬉しくて叫び出しそうだった。すごい!すごい!!

勝新太郎と一緒に芝居を創っちゃった。

興奮して涙がにじんで来る。

笑いたいような泣きたいような不思議な気分だった。


襟首や胸ぐらをつかまれた。叩きつけられた。

それなのに、まったく痛くない。

勝さんは、リアルでしかも美しく見せるための動作を私に教えてくれた。


「今はまだ無理かもしれないけれど、どういう風に転んだら

怪我をしないできちんと見せられるか、勉強しておきなさいよ」


と言われた。


メソメソと泣くだけだった農民の親たちは、絶望する者、金を貰ってさもしく喜ぶ者、

卑屈になる者とそれぞれが個性をもって生きている人々となり娘たちも、逃げたり、

笑ったり怯えたりと豊かな表情を表すようになった。


これが勝新太郎の演出だった。


どんな短いシーンでも、人間が人間として生きている。


その上、私は「おさわ」という役名まで頂戴し、よろけて泣きながら「おさわ~!」と呼ぶ父親に、

花道でくるっと振返り「とっつぁま~!!」と絶叫するセリフまで貰った。


あぁ、ご褒美!

ひとことのセリフに命をかけて、私の旅は始まった。


(2002年夏記す)

2017年9月20日 (水)

愛しの勝新太郎さま~そして旅は始まった -2-

「座頭市」の演出は全て勝さんが仕切っている。


初日の稽古から、出演者はど肝を抜かれた。相変わらず台本はない。

私たちは集められ勝さんからオープニングのシーンの説明を受けた。


幕が開く。


そこには荒れた土地が寒々と広がっている。

舞台向かって右手に貧しい身なりの農民が10数名立っている。

娘を遊郭に売った親たちだ。左手に娘たちが6~7人。

ボロボロの身なりで旅支度をしている。

人買いの男が二人、娘たちを品定めするように見て、それぞれの親に金を渡し娘を連れて去っていく。

娘たちと入れかわりに、人買いの仲間数人がやって来て農民を惨殺。

渡したばかりの金を奪って逃走する。ゴロゴロと死体がころがる中に、ようやく座頭市の登場となる。


「おや…?血の匂いがするねぇ」などと言いながら。


この短い冒頭のシーンが私の出番だった。売られていく娘のひとりである。


「好きなように演ってごらん」


勝さんに言われ、芝居の稽古は始まった。

親も娘たちもオイオイと泣いて別れを惜しみ、人買いに引きずられ娘たちは花道から去って行った。


「俺がやってみるから」


と勝さんは人買いを演じている役者を下がらせ最初の立ち位置に全員を戻すと、人買いを演じて見せた。

ドキドキした。あまりに格好良くて。


悪い奴のはずなのに、姑息な悪人のはずなのに、渋くて素敵すぎる!

こんな人買いなら、買われて行くのもいいかもねなどど不謹慎なことを考えながら夢見心地で稽古場にいた。


人買いはゆっくり娘たちを値踏みしている。

すると突然演出家の顔に戻り、私の隣に並ぶ丸顔でぽっちゃりとしている女の子に向かいこう言った。


「お前はな、売られて行くってことがどう言うことなのか良くわかってないんだな。

行けば白いマンマが腹いっぱい食えると言われて来た。

 白いマンマのことだけ考えていれば良い」


「白いマンマ、白いマンマ」とおまじないのように唱えて彼女はうっとりと微笑んだ。

観客は彼女の屈託のなさに笑いを誘われるはずだ。


だがこの笑顔が、これから起きる悲惨な出来事をより凄惨なものに深める役割をして行くのだ。

全てを見通しているようにうなずいて、勝さんは私の前に来た。


「そうだな…お前はちょっと利口なんだな。

 向こうへ行ったら、どんな生活が待っているかお前は解っている。

 どうする?」


と、突然そんな…


私は遊郭の暮らしを思い浮かべた。行くも行かぬも地獄だ。


「い、いやだ…行きたくない」

「どうする?」

「いやだ、行かない」

「逃げろ」

「・・・」


私は「ひゃ!」とか「うきゃ!」とか奇妙な声を上げてあわてて舞台から逃げ出した。

緊張と恐怖で足がもつれ、四つんばいになりながら崩れるように逃げた。

急に身体がふっわと軽くなった。

勝さんの人買いに襟首をつかまれて、舞台の中央に引き戻された。


「ふ、なめた真似しやがって」


今度は胸ぐらをつかまれ、ぐっと顔を近付けられた。

身体が金縛りにあったように動かない。

そのまま2、3発張り手をくらい床に叩きつけられて娘たちの列に投げ戻された。

周りの娘たちが慌てて私を抱き起こし怯えたように人買いを見た。

リアルな芝居が出来上がっていた。


つづく

2017年9月19日 (火)

愛しの勝新太郎さま~そして旅は始まった -1-

勝アカデミーの在学期間は1年。


アルバイトに授業にと走り回っているうちに、1年は瞬く間に過ぎて行く。

私たち2期生も卒業公演の日を迎えることになった。

生徒にとっては最大のチャンスだ。

公演には業界の関係者やプロダクションの人たちが招待されている。

もちろん勝新太郎学長も、客席にいる。

ここでバッチリよい仕事をして、役者の世界で生きるきっかけを手にしたい。みんな必死だった。


卒業公演は、既存のテレビや舞台などの台本から印象的なシーンを引っ張り出し、数分ごとにつなぎ合わせたものを次々に演じる。

時代劇もあれば、コメディや外国物まである。

私も三つほど役をもらい、アタフタと舞台を行き来した。


どういうわけか、これが勝さんの目にとまった。


優秀演技賞」をいただいた上にご褒美までいただくことになったのだ。

私自身は何が起きているのかしっかり理解出来ていないうちに、あれよあれよと話が進み、秋からの地方巡業に参加することになった。


聞けば勝新太郎主演の「座頭市」と萬屋錦之助主演の「宮本武蔵」の2本立てで東北地方を1ヶ月かけて巡るというではないか。

な、なんというゼイタク…これがご褒美である。

ちょっと時代がかっているけれど、こんな面白そうな企画に乗らないわけにはいかない。

「座頭市」と「宮本武蔵」…めずらしい…


すぐさま、ありがたくお受けした。


つづく

2017年9月18日 (月)

愛しの勝新太郎さま~授業 -3-

私達はみんな、ペーペーで下手くそな役者の卵だった。

だが勝さんの授業の時だけは、下手な役者は誰もいなかった。

他の講師の時には切り捨てられてしまうくらいどうにもならない棒読みのセリフも、

勝さんの授業ではそれが素朴な優しさとして認められた。

無骨な動きも、空回りする情熱もひとつの個性として光を当ててもらえた。

人間は一色だけではなく、自分ですら気が付かない心の奥にひそむいくつもの顔の存在を教えられ、

自分自身にときめきをおぼえた。

型にはまらない言動で、世間を驚かせていた勝さん。

だがそれだけではない。

役者としてのとてつもない力量と、そこに裏打ちされた血肉にまでなっている基礎。

そして人間をみつめる深い慈愛の眼。

それがあったからこそ、勝新太郎は輝き続けていたのだ。

本物のカリスマだった。

勝新太郎の為なら死んでもいいという男達が周りにたくさんいた。

その気持ち、痛いほどわかった。

まだお化粧すらしたことがなかった私は、世間のことをあれこれと学ぶ前に、

いきなりとてつもない超人物と出会ってしまったのである。

人格形成に影響がない訳がない。

毎日が新鮮な驚きと衝撃の連続。胸が高鳴ってはちきれそうだった。

そしてとうとう一年後「座頭市」のドサまわり(地方巡業)にくっついて行くことになるのだ。

(2002年夏記す)

2017年9月17日 (日)

愛しの勝新太郎さま~授業 -2-

また、ある日。男子生徒と女子生徒、ひとりずつを前に出した。

デートの帰りにお前は女のアパートまで送ってきた。イッパツヤリタイ。

どうしても部屋に上がりたい。彼女は絶対部屋に入れたくない。

ハイ、スタート

芝居が始まった。女子生徒はクラスでも一番の清純派。可憐な女の子だ。

ちょっと、お茶でも…」「いえ、困ります」と押し問答が続いている。

いつもの彼ららしい芝居。

突然、勝さんは芝居を止めて男子生徒を教室の外に出るように指示した。

そして、残された女子生徒にたずねた。

どうして、部屋に入れたくないんだ?

え?…部屋が、散らかってるから…

ポっと顔を赤らめる彼女。

大きな瞳をきらきら輝かせて、勝さんは言った。

お前の部屋の冷蔵庫にはな、切り刻まれた男の死体が入ってる

え?」と驚愕する彼女。

今まで、清純派の彼女にそんな役付けをする人はいなかった。

男子生徒が部屋に戻された。ハイ、スタート。

何も知らない男は、嬉々として彼女の部屋へ入ろうとする。

彼女の芝居が変わった。

ちょっと、トイレ貸してくれない?」「いえ、困ります

セリフじたいはそれ程変わっていない。

それなのに、彼女の無垢な表情が深い陰影を宿している。

清純そうであればあるほど、その可憐さが狂気をおびて見えてくる。

こんなに可愛い顔してるのに、この女、冷蔵庫に男の死体を隠してる。

こわ~い!!鳥肌が立った。

そんな彼女を見るのは初めてだった。妖しい女に見えた。

やむにやまれぬ事情で男を殺した女には見えない。

むしろ快楽殺人で男を切り刻み、死体を溺愛する狂った女に見えた。

見つめる生徒は息をのんで成り行きを見守っていた。

そろそろ、部屋に上げてやれ」と勝さんの声。

にっこりと天使のように微笑んで、彼女は「はい」と答えた。

何も知らない哀れな男は、上気した様子で部屋に入って行った。

カット!良かったな、部屋に入れてもらえて

は、はい!」男子生徒は照れくさそうに笑った。

おまえも、冷蔵庫だな

私達は笑った。震えながら笑った。

男子生徒はきょとんとしている。

し、芝居を創るというのはこういうことだったのか~!

人間のありとあらゆる側面を、あぶり出して光に当てることだったんだ。

私は陶酔していた。

たったこれだけのシチュエーションで、ここまで面白いものを創造出来るんだ。

すっげぇ~!!

生きてて良かった~と興奮していた。

つづく

愛しの勝新太郎さま~授業 -3-へ

2017年9月16日 (土)

愛しの勝新太郎さま~授業 -1-

昭和54年、俳優の勝新太郎さんが俳優養成所「勝アカデミー」を開校した。

勝さんをはじめ、人気も実力もある役者達が特別講師として名を連ねていたため前評判は高く、応募者が殺到した。

オーデションの結果、可能性の宝庫のような第一期生が誕生。

勝アカデミーは華々しくスタートした。

半年後、第二期生を募集する頃に、勝さんは映画「影武者」の撮影に入ったものの、黒澤明監督と大喧嘩。

主役を降板してしまった。

そのあおりを受けたのか何なのか、ニ期生の応募者は激減。

受験した者はほとんど合格というお寒い展開になった。

私はその二期生である。

そんなこととはつゆ知らず、親の反対を押し切って家出同然に上京して来た18歳の私にとっては、夢のような日々の始まりだった。

暇になった勝さんは、頻繁に授業に顔を出すようになった。

ビールを片手に教壇に立ち、破天荒な授業で私達を指導し魅了してくれた。

私にとっては幸運というほかない。

他の先生方は、台本を読み込んできちんと役創りをする所から授業が始まる。

ところが、勝さんの授業には台本が一切ない。

ある日の授業。

一人の男子生徒をつかまえて「お前は通り魔だ。いいな、そこから歩いてきて俺を刺せ」と例の渋い声で指示をした。

スタート!

それだけで、芝居が始まるのである。

生徒は、ボールペンをナイフに見たて、目をむき鼻息荒く勝さんに近付き「どりゃ~!!」と掛け声一発、突進して刺した。

まあまあと、興奮する生徒を軽くいなして勝さんは言った。

刺せといったら大抵みんな、そうやって刺すんだよ。

今度は力を抜いて何も考えずに、笑いながら刺してみな

生徒は戸惑いながらもへらへらと不器用に笑い、ふにゃふにゃとゆっくり歩き

じっと勝さんを見つめて、突然倒れるように笑ったまま、刺した。

うわ!こわ~い!生徒はみな唸った。

笑いながら近付いて来た人に殺される方が100倍怖い。

な、こっちの方が面白いだろ」いたずらっ子のように勝さんは笑った。

こ、これが芝居ってものなのか!心の底からゾクゾクした。

つづく

愛しの勝新太郎さま~授業 -2-へ

2017年9月15日 (金)

階段の一番上に座る -2-

西校舎の三階。

非常階段の一番上が、私たちのお気に入りの場所だったね。

放課後、暮れかけの橙色に染まる町や夕凪の海を見ながら、
クラリネットの練習をしたり、ノストラダムスの大予言に怯えたり、
誰にも言えなかった秘密を打ち明け合ったりした。


「ただ無邪気なだけの十五歳」にはなれなかった私たちだけれど、
芒洋とした海の向こうに遠い明日を夢見ていたし、互いの胸の奥に
ある「決心」みたいなものを、ちゃんと理解していたようにも思うの。


私、今でも階段の一番上で振り返って座ることがある。

埋め立てられ消えてしまった海と、夕焼けの色を思い出すために。

私の中に残る、「決心」の欠片を確かめるために。

そして、明け透けな笑顔のあなたが、「遅かったね」と待っていて
くれるような気もして。

2017年9月14日 (木)

階段の一番上に座る -1-

四十数年前、小高い山の中腹にある中学校に通っていた。
校舎は三階建て。

吹きさらしの非常階段の一番上まで昇って振り返ると、

私が暮らす小さな町が一望できる。

町の中を呉線の電車が横切り、その先には瀬戸内の海が

芒洋と広がる。

憧れのテニス部の先輩が追い駆けるボールの音を聞きながら、

町と海が、夕焼けの濃い橙色に染められて行くのを暗くなるまで

見続けていた。

家に帰りたくない日も、友だちと言い争った時も、私は階段の

一番上に座っていた。


ここが、唯一の私の居場所だと思っていた。

私は今でも時折、階段の一番上で振り返り、ほんの少しだけ
座ってみる。

中学生の頃の私の真っ直ぐな目、今はもう、埋め立てられて

見ることが出来なくなったあの景色を、
もう一度、胸の奥に確かめてみるように。

2017年9月13日 (水)

酒、恨み節!-2-

演劇の養成所は昼間授業がある。

地方から上京して来た女の子は暮らしを支えるために、夜の仕事をするしかない。
アルバイトでホステスをするのだ。

銀座や赤坂には、そういうバイトちゃんを快く受け入れてくれるお店があった。
当然私も時給につられ、何の考えもなしにお決まりのコースでバイトを始めた。

今から20年も前の話だ。

ところが、生意気ざかりのお年頃。
なにかというと、お客に議論を吹っかけ「人生は…」なんて話を始める。
しかもウーロン茶を片手に延々とそこに居座る。
私がお客だったら、こんな店お断りである。

だが、私自身は案外楽しんでいた。興が乗れば朝までだって語り合えた。
ただし相手は酒、私はお茶でである。
評判はすこぶる悪かった。

酒が飲めないっていうのは、人生の楽しみの半分を自ら放棄しているようなものだ

客は蔑んだような目で私を見てそう言った。
私が経験することの出来ない人生の半分を充分に楽しむと、彼のような立派な人になれるらしい。

あぁ~お酒が飲めなくてほんとうに良かった!」と憎まれ口を叩いた。

愛されるはずがない。

酒の飲めない歌い手の歌なんて聞く気にならん

歌い手になって間もない頃に、別の客から言われた言葉だ。

聞かんでケッコウ!そんなにえらいのか、酔っ払えるってことが!!
 フンッ!世界が狭いねぇ。世の中にはいろんな人がいるんだよッ!


と思いきり言いたかったが…この時は言えなかった。
少し大人になったから。
今なら別の意味で言えると思うけど。

たかだか嗜好の問題なのに、酒となると突然話が大袈裟になるのは何故なのだろう。
人生云々という話になってくる。

酔っ払ってハメを外さないと、人生の面白味が解らないとでも言うのだろうか。
私はシラフでもハメを外せるのに。

それに、下戸は何か辛いことがあった時、酒に逃げることが出来ない。
その苦しみとまともに向き合うしかないのだ。
この方がよっぽど厳しいと思う。

まあ、若い女の子相手に息巻くしかない中年男性の悲哀も、少しは理解できる年頃には
なって来たけれど、侘しいなぁ。

夫とは知り合った日から今日まで、一度も酒がらみのデートはない。

夫もそれほど酒に強い方ではないので、ふたりとも不自由を感じたことはないが、
ある時友人から「飲まないでどんな話をしてるの?」と真顔で質問をされたことがある。

どうやら酔わないと会話が出来ない人もいるらしい。

家庭の中で両親が酒を飲む姿を見たことがないまま育った。

当然、晩酌というものも知らない。
盆暮れ正月ですら誰も酒を飲まなかった。
お酒の文化も、我が家では育ちようがなかった。

あるパーティーで、主催者から大先輩の女性歌手に何か食べ物を持って行ってあげてと
頼まれた。

よろしかったら如何ですか?

言われるままにサンドイッチのお皿を差し出すと、その大先輩は突然力任せにお皿を
叩き落し、大勢の人の前で私を罵倒した。

あんた、気が利かないねぇ!サンドイッチなんかすすめて、私の酒をまずくしようって
魂胆なの!


アホらしくなって、その日以来酒飲みに親切にするのはヤメタ。

酒っていったい何だろう?
恨みつらみはキリがない。

近頃はさすがに、子供と一緒なので酒抜きで平和に過ごしている。
だが、酒が飲めないことで仕事や人間関係で、辛い思いをしている人は、まだまだ、
たくさんいる。

狂気の沙汰の一気飲みで大切な命をおとしたり、未だに「オレの酒が飲めねぇのか
的な接待の強要は続いている。

フランス料理のお店で「ワインも楽しめないの?」と露骨に嫌悪感を表す人もいる。

いいじゃないの!人はさまざまだもの。

私はやわらかい日差しの下で、おいしいお茶でも飲みながら歌を歌ったり聴いたり
したいし、夜は早く眠りたい。

それじゃ、ダメ?

だめでもいいけど。

(2002年記す)

2017年9月12日 (火)

酒、恨み節!-1-

日本酒、好きそうだね。一升瓶を抱いて寝てるんじゃない
とよく言われる。

初対面に近い人は、たいていこれと似たようなことを私のイメージに持つらしい。

一升瓶を抱いて寝てしまう女というのは、いったいどんな女なんだろう。
私のどこを見てそんな風に感じるのだろう。

だらしなくて嫌な映像だなと、少々不愉快になりながらそんな言葉を聞いている。

お酒に関する逸話は数知れない。
楽しい思い出ではなく、恨みつらみの方だ。


そう、私は不調法どころではない。
まったくお酒が飲めない。
なめるだけでもダメ。
甘いカクテルも、奈良漬け、ウィスキーボンボンですらも拒絶反応が出るくらいの
下戸なのだ。

あらゆる場所や状況下で、お酒の飲めない人間の苦しみを身に受けている。
少しでもアルコールが入ると、まず顔が赤紫に張れ上がる。
続いて動悸が激しくなり天井が回りだす。
やがてじん麻疹が全身を襲い腰が砕ける。

ここまで来ると2日は寝込む。
遠くで祭り太鼓が聞こえると思ったら、自分の頭の中の脈の音だったということもある。
こんな状態なので、楽しいはずがない。
苦痛なのだ。

私にとってお酒とは単なる毒薬でしかない。

なのに、お酒への依存度が高い人ほど他人の酒量を気にする。
そして、飲めない人間を蔑み嫌味を言う。
不幸なことに、こんな下戸が極めて酒と縁の深い場所で仕事をすることになった。

つづく

酒、うらみ節 -2-へ