2018年6月14日 (木)

「おはよう」をいただく

私の自宅から徒歩五分。

往来の激しいバス通りに、ひっそりとたたずむ肉屋がある。

八十代のご夫婦が営むこのお店は、五十年以上前から、ずっとそこにある。

風雪に耐えた木造の店舗と、高齢のご夫婦。
近所の住人は、みな敬意を表して「栄屋さん」と呼んでいる。

「いらっしゃいまし」。

年季の入ったショーウインドーから、背伸びをするように顔を出す奥さん。
彼女の揚げるチキンカツは絶品だ。

その横でご主人は、黙々と肉の塊に包丁を入れている。
愛想はない。
けれど、それが栄屋さんのずっと変わらない姿勢でもある。

数年前までは、お店の並びに、豆腐屋も八百屋も蕎麦屋も弁当屋もあった。
でも今は、全てシャッターで閉ざされ、灯りがともっているのは栄屋さんだけ。

夕方、お店の前は、仕事や買い物帰りの客たちで賑わう。

「肉や揚げ物だけは、栄屋さんで買う。」

それが、この地域の人たちの常識であり、栄屋さんへの無言の応援でもある。

今朝、私はお店に向かうご夫婦を見かけた。

ふたりで手をつなぎ、前だけを見て、背中を丸めたまま、小さな歩幅で歩いている。
お店で会うよりも、ずっとずっと小柄なふたり。

「栄屋さん、おはようございます」

思わず声をかけると、ふたりはスローモーションのようにゆっくりと立ち止まり、息をつき、私の方を見て言った。

「おはようございまし」

奥さんの小さな声。
語尾が、上手く聞き取れない。
ご主人は相変わらず黙ったままで、かすかに会釈を返してくれたような、くれないような。

小走りだった私は、そこで立ち止まり、ふたりの反応を受け止めてから、ゆっくりと歩き出した。

軽くない「おはようございます」もあるのだ。

丁寧に確実に日々を重ねて発せられる「おはようございます」もあるのだ。

言い流せない、聞き流せない、そんな「おはようございます」を、私は今、いただいたのだと思った。

振り返ると、ふたつの小さな背中に白い朝日が当たっていた。


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2018年6月 4日 (月)

こきりこ節

こきりこ節は今から約1400年前、大化の改新の頃に越中富山で作られた歌。

歌詞が、長い。

延々と続き、誕生・成長・結婚・妊娠・出産なども歌い込まれている。

さらに、人生指南から、スピリチュアル的なことまでいろいろと。

だから、本当の歌詞は長くて素朴で、少々色っぽかったりする。

私、かつて「浜田真実」の名義で歌っていた。

よろずのささい、放下すれば
月は照るなり霊祭り

世間のあれこれを手放せば、月は輝き、魂は踊る

という意味だと思う。

おっしゃる通りでございます。
1400年前の歌詞に教えられ、身軽に行こうと思う私。

では、お時間のある時に、どうぞ。

2018年6月 1日 (金)

東へ

東に行きたくなったので、千葉までドライブ。


まずは、香取神宮に参拝。

社殿が黒く、美しい。
さすがに、良い気が漂っていますなぁ。
気さくに、受け入れてもらったような気がするよ。

あくまで、私見だけど。

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香取神宮にお参りに行ったら、行かねばなるまいと、
対になっている鹿島神宮にもご挨拶。

新緑が美しい。


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歩いているだけで、不純物が洗い流されて行くよう。
鹿島神宮は奥が深い。

一日に40万リットルもの湧水がある御手洗池。

大人が入っても子どもが入っても、胸のところまでしか
水が来ないという、七不思議のパワースポット

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この池の底には、お賽銭落ちていない。
いい感じ。

さてこちらは、いよいよ最果て、犬吠埼灯台。
明治7年竣工。

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水平線が美しかった。

その側にある、風力発電のある風景。

近くに行くと、風車の低周波音がうるさいらしい
のだけれど、遠くから観るだけだと、静かに
佇んでいるようにみえる。
巨大な風車のある景色は、異国の様で不思議。


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このあたりはまさに平野の国。

どこまでも見渡せる土地と、それに続く海が
芒洋として美しい。

土曜日に行ったのに、人通りがあまりにも少なくて
ちょっと心配になってしまったのだけれど、
もしかしたら、穴場スポットなのかなぁ。

久々に、遠くを見たような気がする。
頭と身体に詰まった、あれこれもスッキリ落せた。

心と身体が軽い。

ありがたや。

2018年4月10日 (火)

エッセイが音声に

先日、読売新聞社からお電話をいただいた。

私のエッセイ「寄り添う眼差しに 」を、朗読してCDに録音し、
視覚障害を持っている方にお配りしたいが良いだろうか
というお問い合わせをいただいたとのこと。

朗読ボランティア団体の方からの打診のようだ。

嬉しい!

ありがたいです。
ぜひぜひ!

と、二つ返事でお願いした。

ずっと以前だけれど、私も目のご不自由な方に、朗読をする
ボランティアに携わっていた。

マンツーマンで朗読をする難しさ。

朗読のスピードや滑舌など、ご本人から何度もご指導も受け、
緊張していたことを、今でも憶えている。

文章を音声翻訳した上で、声と耳だけでコミュニケーションを
とることは、難しいけれど豊かなことだと思う。

あれから20年以上が過ぎ、こんな形でお役に立てる日が来る
なんて思ってもみなかった。

たくさんの方に、私の作品を聴いていただけたら、本望です。

朗読ボランティアの皆様、何卒よろしくお願い致します。


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2018年3月19日 (月)

プラハとあの世

昨日は、友人の写真家・サトウヒトミの写真展に行った。
会場は、銀座シックス5階。

草間彌生さんのアートがお出迎え。

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カメラ名機のライカで撮ったチェコ、プラハの写真の数々。

人の生活が思いが、ちゃんと切り取られていて素晴らしい。

良い写真というのは、被写体の奥に物語を感じさせるのだなと
改めて思う。

私の書く文章も、奥行きを受け取ってもらえるものになれば。
そのためにも、しっかり書いて行くぞ!

いや、それにしても、プラハ、行きたいなぁ。

取材旅行と称して、さまざまな世界を観に行ける人になりたい。
そうなれるように、祈ろう。

いや、書こう。

その後、娘と待ち合わせて映画「リメンバーミー」鑑賞。


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メキシコが舞台の、あの世とこの世の時間と次元を超えた
物語。

こちらも、堪能。

泣かせどころで、まんまと泣く自分。

しかも映像技術が素晴らしくて、アニメーションなのに
これは、半分実写なのか? 
と思えるくらいに質感がリアル。

人も技術も、日々進化しているという当たり前のことに
今さら驚き、圧倒された一日だった。

エネルギーチャージ、本日も完了!

2018年3月12日 (月)

ガブリエラソング

今日、グレイテストショーマンを観て来た。

音楽もダンスも素晴らしくて、胸いっぱい。
幸せ。

主題歌の「This is me」もヒットしているので、たくさんの方が
ご存知だと思う。

心に傷を負った人たちに、恥じることなく堂々と生きて良いのだと
パワフルなメッセージを伝えている。

私も大好きな歌で、聴く度に涙しているのだけれど、この歌もおススメ。

スウェーデン映画の「歓びを歌に乗せて」の中で歌われている、
ガブリエラソング

夫のDVに、自分の尊厳を見失っていた女性が、「私は私の人生を生きる
と力強く宣言する歌。

訳詞はこれ↓

「ガブリエラソング」

私の人生は 今こそ私のもの

この世に生きるのはつかの間だけど
希望にすがってここまで歩んできた

私に欠けていたもの そして得たもの

でも それが自分で選んだ道
言葉を超えたものを信じ続けて

天国は見つからなかったけど
ほんの少しだけ それを垣間見た

生きている喜びを心から感じたい
私に残されたこれからの日々に
自分の思うままに生きていこう

生きている喜びを心から感じたい
私は それに価すると誇れる人間だから

自分を見失ったことはない
今まで それは胸の奥で眠ってた

チャンスに恵まれない人生だったけど
生きたいという意志が私を支えてくれた

今の私が望むのは日々の幸せ
何にも負けず強くそして自由に

夜の暗闇から光が生まれるように
そう 私の人生は 私のもの!

探し求めていた幻の天国
それは近くにある どこか近くに

私はこう感じたい

「私は自分の人生を生きた!」と

(原語はスウェーデン語。翻訳は、DVDの付録より。)

  誇りを持って生きようと歌うガブリエラ。

こういう歌を歌いたい。

でもって、ベタだけど、こういうお話を書きたい。
そう思う私。

良いなぁ!

2018年2月25日 (日)

表彰式

24日、表彰式&受賞記念パーティーの日。

 

緊張した。

その上、フワフワとしていたらしい。

審査員の水野真紀さんのエレガントな美しさや、松下奈緒さんの

ワンピース姿の格好良さに見惚れているうちに、気合を入れて

付けて行った、つけまつげが、半分ない。右目。

 

賞状をいただくとき、鼻の下にくっ付いていなかっただろうか。

 

厚生労働省の方が吹き出したりしなかったので、その時は、

セーフだったんだろうな。

 

どこに行った、私の片っぽまつげ。

 

いや、でも本当に嬉しかった。

 

受賞者の中には、北海道や三重、徳島、沖縄から来られた

方もいて、これからも、頑張りましょうね!なんてお話もできた。

 

それに、主催者側のスタッフの方々が、とても細やかに気遣って

下さり、良い時間を過ごさせていただいた。

 

皆様、ありがとうございました。

 

 

実はずっと昔、私が出演していた銀座のシャンソンのお店に

よく来てくださっていたのが、今回の審査委員長・養老孟司先生。

 

まさか、こういう形で再会できるとは思ってもいなかった。

お会いするのは、30年振り。

 

 

若気の至りで、当時の私は、先生に相当失礼な物言いをして

いたことを思い出し冷や汗ものだったが、先生は穏やかな

笑顔で「私も、80歳になりました」とおっしゃっていた。

 

わー!! 

いろいろ、すみませんでした!

 

でも、どうやら、私のことは憶えておられないようだったので、

他の人の噂話をしてごまかしてしまったよ。

 

その後、作家の玄侑宗久先生から、
もっと長い作品も読んでみたい」とおっしゃっていただき、
女優の水野真紀さんからは、「これからの時代には、こういう
体験を伝えて行くことはとても大事なこと
」と励まして頂いた。

もう、恐縮至極です。

本当に、ありがとうございます。

これからも、コツコツと、思いのたけを書いて行こうと思った。

 

 

本当に、ありがとうございました。

明日からまた、頑張ります!

2018年2月14日 (水)

生命を見つめるフォト&エッセー

昨年秋、読売新聞と日本医師会が共催して行っている
第一回 生命を見つめるフォト&エッセイ」コンテストの
エッセイ部門に応募した。

そのエッセイが、この度、厚生労働大臣賞受賞!

素直に嬉しい。
ありがとうございます。

でも、怖い。

母の精神疾患と、寄り添っていただいた看護師長さん
とのことを書いたのだが、母のことを書くのは、
やはり、まだ少し勇気を必要とする。

それでも、こんなに素晴らしい賞をいただけたということは、

大丈夫。書いて行け!

と、大きな力で、背中を押していただいたのだと思う。
怖がりのままで、ガシガシと目抜き通りを歩いて行きたい。

受賞作は、私の本名でホームページに掲載されている。

 ◆重信雅美 「寄り添う眼差しに


毎度のことだけど、自作を読み返すと、呼吸が荒くなるな。

書くことは、怖い。
だけど、とてつもなく面白い。

これからも好き放題に書いて行きます。
ありがとうございました。

2018年2月 4日 (日)

「じゃ、またね」のお別れ

お義父さんが、急変しました


義妹から連絡が入り、夫はすぐに、愛知県春日井市の実家に戻った。

義父は、駆け付けた息子たちと会話を交わし、食事を全て平らげ、

その翌日に静かに旅立った。


今年のお正月


もう、これで会えないかもしれないから。

 まみちゃん、身体に気を付けて元気でね


と義父から声をかけられて、握手をして別れた。


義父の手は、思っていた以上に大きく、力強く感じたのを

憶えている。

年齢的にも、病状的にも、お別れはそう遠いことではないと

覚悟をしていたが、やはり寂しい。



夫の実家は神道なので、葬儀は神主さんをお呼びした。

祭壇には、立派な昆布や黒鯛や果物がお供えされていて、

祝詞が唱えられる。


ご焼香は玉串の奉納となり、初七日や四十九日の法要は

十日祭や五十日祭となる。


神道では、死者を悼むことも、「祭り」になるのだ。


斎場にお線香の香りはなく、代わりにお花とお榊の香りが

満ちている。


神道の葬儀形式も、良いものだと思う。


高校生の娘は、


おじいちゃんは、きっと、私が泣いているところを見るのは

辛いだろうから、私は、おじいちゃんの前では泣かない。

でも、感情を溜め込むのも身体に良くないから、風呂場で

号泣した


と言った。


涙腺の蛇口が故障している私にとって、涙は止めようがなく

ダダ漏れの状態なのだが、彼女なりの気遣いや送り方が

あるのだとわかって、少々驚いた。


そして、穏やかに微笑んで眠るお義父さんの顔に、

娘はそっと手で触れて


おじいちゃん、肌年齢、若い。大丈夫


とも。


何が大丈夫なのかはわからないが、お義父さんの照れたような

笑顔が思い浮かんだ。


棺の小窓が閉じられるとき、


じゃ、またね


と声をかけていた娘の思いを、お義父さんはちゃんと受け取って

くれたような気がする。


残された家族みんなで、泣いたり笑ったりしながらお義父さんを

見送れたことは、幸せなことだと思う。


どんな生き方をしたとしても、死は誰にでも必ず訪れる。

制限の多い世界の中で、もがいたり感情の波を味わったり

しながら、充分に生きて行こうと思う。


お義父さん、じゃ、またね。

ありがとうございました。


2018年1月25日 (木)

めぐる旅路に

久々に自分の歌を聴いた。

この楽曲を作ったのは、20代の終わり頃。

当時私は、「浜田真実」という名前で、凄腕のギタリスト・伊藤芳輝さんと
一緒にバンドを組み、作詞とボーカルを担当していた。

これは、曲と歌詞、『はじまりが始まり おわりが終わる』の部分が
先に出来ていた。

伊藤さんから、「あとの歌詞、よろしく

と託されて、他の歌詞を私が書いた。

この動画の私の歌声は、たぶん40代後半頃だろうと思う。

すみません。
」とか「たぶん」とか「だったと思う」が多くて。
もうこの頃、すべてが、ざっくりの記憶しか残っていないので。

たぶん……

20代後半の頃の私は、確固たる根がないと感じていて、
根拠のない不安と焦りに怯えていたのだと思う。

そんな中で、ひねり出した言葉は、生きることは、「」。

ありがちだと思うけれど、

忘れていた自分の素直な気持ちを思い出すために、
 もう一度スタート地点から始めてみよう...


そんな思いで、歌詞を書いたような記憶がある。

今、私がボイストレーナーとして提唱していることが、

自分の本来の輝きある声を取り戻しましょう
ということだったりもするから、思っていることは、それほど
変化はないのかもしれない。

楽曲のアレンジと動画の編集は、夫の重信将志。

そうだ!
ざっくりと思い出した。

当時、JRがこの曲を見つけてくれて、CMにでも使ってくれないかなと
下心もあったのだった。

そんなラッキーは、なかったけれど、今、聴き直してみると、
歌詞と歌はともかく、曲とアレンジは、素晴らしく良いなと思う。

その後この曲は、歌詞だけ変えられて、有名な歌手の人が歌って
アルバムにも収録されたのだと思う。

歌詞だけ変えられて、というところがミソですな。

というわけで、お時間のある時に、聴いてみてください。

2017年11月28日 (火)

草津よいとこ

初草津。

硫黄の匂いが濃厚に漂う中、町歩き。

メインストリートの湯畑は、ライトアップされて美しい。


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刻々と色が変わるので、こんな写真も撮れる。


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何かが召喚されそうな写真も撮れたりする。


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とにかく泉質が良くて、身体の芯までポカポカになるよ。

こういう町に長逗留して、文章を書く暮らし。
憧れますなぁ…

2017年11月 9日 (木)

彼女がその名を知らない鳥たち

沼田まほかるさん原作の小説「彼女がその名を知らない鳥たち」が
映画化されたので、観に行った。


映画のキャッチコピーは、

共感度0%
不快度100%

最低な女と男がたどり着く究極の愛とは…

ということだったので、どのくらい私が不快になれるのか、
ワクワクしながら観た。

原作は、未読。

蒼井優さん演じる、だらしなくて男に依存している嫌な女。
阿部サダオさん演じる、不潔なストーカー男。
松坂桃李さん演じる、スカスカペラペラのゲス男。
竹野内豊さん演じる、女を利用しまくるDV男。

この4人を中心にお話が展開するのだけれど、私、

わ~!最低!!

と、嫌悪感を抱くことは…

なかったな。

不快だなんて、まったく、思わなかったよ。

いるいる、こういう人。
いや、思った以上にたくさんいるよ、こういう人たち。
いやいや、まてよ。
私の中にも、いるわ、この人たち。

という感じで、なんと共感度100%で、いちいちわかるわかると
納得しながら、観てしまった。

なんだか、ラストシーンで、ぐっと来たりもして。

私、どうやら最低でゲスな女のようだ。

4人の演技が、また素晴らしい。
そして美しい。

これ、美しい人が、最低を演じるからちゃんと表現になって
観客に届くのだということが、よくわかる。

だからこその、この配役だったのだろうと。

松坂さんの空っぽの目。
竹野内さんの、凶器を宿した目。
そして、阿部サダオさんの孤独と、慈愛を湛えた澄んだ目。

上手いなぁと唸った。

世間から、最低だと思われるであろう人たちの中にある、
かすかな光を感じられる作品だと思う。

帰宅時に、原作を購入。
また眠れない夜が続きそう。

2017年11月 8日 (水)

ナメタケワスレタ ~②

そのシャンソンのお店は、私が歌い手としてデビューする以前からお世話になっていたお店だった。

女性オーナーは歌手でもあり、若手育成にかけては非常に厳しいことで業界でも有名な人だ。
いい加減な態度でステージにのぞむと、即刻首が飛ぶ。

私はほとんど毎日のようにレギュラーで歌う機会を与えられていたが、戦々恐々。
叱られるのが怖いので、なるべく目を合わさないように大人しい人のふりをして過ごしていた。

ある日、オーナーのステージが始まる前にお客様から呼びとめられた。

オーナーに百万本のバラをリクエストしたいのですが

百万本のバラは当時とてもヒットしていたシャンソンだった。

はい、ありがとうございます

とにこやかに笑って、小さなリクエストカードに曲名を書いてオーナーに渡した。
ステージが始まりオーナーが一曲目の歌を歌い始めた直後に、ひとりのスタッフが
血相を変えて私の所へ飛んできた。

こ、このリクエストカード書いたの浜田さんですよね?

スタッフが振りかざす小さな紙切れを手に取って見た途端、私の全身から血の気が引いた。
そこには私の字でしっかりとこう書かれていた。

百万本のバカ

う…うそ…これ、私が書いたんじゃない
でも、これ浜田さんの字ですよね
あ…うん、え~?な、なんかの間違いじゃ…

誰かが私を落とし入れようとしているのかとも思った。
だが、文字はボールペンで黒々と書かれ書き直された形跡はない。

たとえて言うなら一週間も餌を食べていないライオンの檻に入り、ニコニコ笑いながら
バ~カ!」と言って踊ってるような錯乱の極みの行為なのだ。

叱られた腹いせなら、もっと他に手がある。

寄りによって「バカ」と書いて渡すなんて。
しかも30歳過ぎた女が…

ここ暗いからさ、気が付かなかったかもしれないよ」先輩の歌い手が慰めてくれたが、
一曲目を歌い終えたオーナーがステージで言った。

リクエスト曲、百万本のバラを歌おうと思ったんだけど、バカって書いてあったからやめます

…終わった…

無意識とは、恐ろしい。

心にいろいろ溜め込んでいると、限界に達した時とんでもない形でそれが噴出する。
その後クビを覚悟で正直に謝ったら

あんた、普段からそう思ってるんでしょ

と憮然とした表情で言われたが、臆面もなく「バカ」と書かれた事をどう受け止めていいのかご本人も解らなかったらしく、うやむやになってこの話は終わった。

以来私は心に溜め込む事を止め、良いことも悪いこともなるべく口にするようにしている。

そうすると、こういった無意識の失敗は少なくなったが、余計なことを言い過ぎて失敗する
ようになった。

まったく、要領の悪い女である。

夫がテレビを見ながら、何かつぶやいている。

この、オオバクマコってさぁ
それ、大場久美子でしょ

似た者夫婦ってとこか。

(2002年夏記す)

ナメタケワスレタ ~①

夜中に夫が突然叫んだ。

ナメタケワスレタヘェーノソー
な、何を言ってるんだ、あんたは!
いや、だからぁ、ナメタケワスレタヘェーノソー
はぁ?!

話は数時間前に遡る。
私は、武蔵坊弁慶について夫に質問した。

あのさぁ、弁慶みたいにお坊さんでもあるし、武器を持って闘っても
強い人たちっての事って何て言うんだっけ?

結局そんなものに名前なんてないということで決着がつき、この話はそれで終わっていた。
ところが布団にもぐり込んだ途端、夫は何やら思い出したらしい。

ほら、あれ、何だっけ…忘れた…兵の僧と書いて…

と必死に私に説明をしかけた。

だが私の耳には「ほら、あれ、ナメタケワスレタヘェーノソー」としか
聞こえてこない。

この、あまりにもふぬけた語感と全く意味不明の日本語がやたらに可笑しくて
ヘェーノソーヘェーノソー」と言いながらしばらく笑っていた。

私は言語能力を司ると言われている左脳のネジが相当ゆるんでいるらしい。
言い間違い、聞き間違い、書き間違いでの失敗は数知れない。

以前歌っていたシャンソンのお店で「では、聞いてください」と言って歌い始めるところを、
もっときれいな言い方に変えようと頭でごちゃごちゃ考えていたために
では、聞かせてあげる、ます。」とやってしまった。

お客様に向かって「聞かせてあげる」とは言語道断の話だ。

その上とって付けたような最後の「ます。」とはいったい何なんだ。

す、すいません」とは言ったものの、この高飛車な間違いのせいで惨憺たるステージになった。

銀巴里という老舗のシャンソン喫茶でもやらかした。

パリの猥雑な町で生まれ育った娼婦の歌を歌います」と言うところを
パリの猥雑な町で生まれ育った娼婦が歌います」と言い放った。

すかさず客席から「そりゃ、あんたのことかい!」とつっこみが入り
え?ち、違います私、広島出身です」と訳の解らない訂正した。

しかし「パリの猥雑な町で生まれ育った娼婦の歌」を自分が歌っていたというのも、ちょっとすごい。

こうして笑っていられるうちは良い。
未だに思い出しただけで変な汗がでそうになる失敗もある。

(2002年夏・記す)

つづく

2017年11月 7日 (火)

「第三回 藤本義一文学賞」受賞

2009年から5年以上も、ひとつの映画製作に携わっていて気づいたのは、
たくさんの人が関わる現場は、自分の思い通りの表現を形にすることは、
とても難しいということ。

どうしたら、本当に表現したいものを、真っ直ぐに伝えることが出来るのだろう。

私、ずっとずっと悩んでいた。

そしてある日、「あ!書くことができるかも!」と思ってしまった。

思い立ったが吉日。

その日、新聞を開いたら、東京作家大学の3期生募集の広告が出ていた。
さぁ、どうぞ、いらっしゃい!というタイミングの良さ。

波が来たら、乗ってみるに限る。

そして、入学してみたら、まあ、書くことが楽しい楽しい!!
快感ですらあるのだ。

どうして今まで、こんな楽しいことを、おざなりにしてきたのだ私。
き、気持ち良いじゃないか!!

ということで、調子に乗って、初めて小説なるものを書いてみた。
さらに調子に乗って、公募にも出してみた。

そうしたら、運の良いことに、まさに運でしかないと思うのだけれど、
特別賞をいただけることになった。

第三回 藤本義一文学賞」。

こんなことってあるんだと、震えた。
すごくすごく、励みにもなった。

そして、10月30日。

藤本義一先生の命日に、授賞式と偲ぶ会の「蟻君忌(ありんこき)」が
開催されるとのことで、ご招待していただいた。

会場のリーガロイヤルホテル大阪。

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美しい。

目の前は、淀川のリバーサイド。
えらくおしゃれで、びっくりした。

私が住んでいた40年前の大阪とは、別の街に進化していたぜ
大阪シティ!!

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私、赤いリボンを胸に付けたのは、初めて。
素直に嬉しい!

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審査員の先生方と、受賞者の皆様。

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夢のようなひとときを過ごさせていただいた。

お前、方向は間違っていないから、書き続けろ!

と、先生方から背中を押していただいたような気がする。

ありがとうございます。

私の拙い作品を、見つけて下さった皆様のお気持ちに恥じないよう、
しっかりと書き続けます。

そしてこの際なので、自分自身の力を1ミリも疑わずに、
大恥かきつつ生きてやろうかと思っています。

調子に乗って、すみません。
でも、本当に嬉しくてたまりません。


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受賞作が集められた作品集が、来年1月に出版予定。

ぜひ!   

2017年10月 5日 (木)

無口なリンゴ おしゃべりな桃

リンゴは、何にも言わない。

唇を寄せたって、黙ったままだ。

これは、戦後に流行った歌から刷り込まれた印象なのだろうけれど、
実際、北国から上京してきた「無口で純朴な少女」というイメージが、
リンゴにはある。

だけど、桃は違う。

かなり、おしゃべりだ。

主張の激しい「わがままな女王」のようだ。

皮からして、艶めかしい。
細かい産毛も、下膨れの曲線も、なかなか挑発的ではないか。
色白の肌にそっと唇を寄せると、濃厚な香りが一気に鼻の奥に
飛び込んできて、こちらの神経を急速に弛緩させる。
恐ろしい。

「ほら、早く食べなさいよ

「な、なんなんだ。その態度は」

だって、食べたいんでしょう。私を

「い、いや、食べたいが、食べたくない、ような、あるような……」

ねぇ、早く食べないと、水分が抜けてシワシワになっちゃう

「な、なっちゃうとは何事だ。こら、桃! 甘ったるい鼻にかかった声で、
私を誘惑するのは、やめろ」

きっと、かじると果汁が滴り落ちる。美味いに決まっている。
わー、わー、もうダメだぁ。

ダイエットは、明日からにする。

「いただきます」

2017年9月25日 (月)

愛しの勝新太郎さま~舞台裏の宝物 -3-

力のある役者は、こうして自分を生かし相手役も自分の存在そのもので

生かすことが出来るのだった。

旅の間中、この天才の技を幾度も堪能させてもらった。

公演も終盤を迎えたある日、勝さんからホテルのラウンジに来るようにと
呼び出しが掛かった。

緊張して出掛けた私の眼に、ぽつんとひとりでお酒を飲んでいる勝さんが映った。

いつも沢山の人に囲まれていた勝さんがひとりでいるのを見たのは、
その時が初めてだった。

私を見つけると手招きをして自分の横に座れと言う。

怖いことになった。

センセイなにをする気なんだと硬直していると、次々に「売られて行く貧しい娘」
のメンバーがやって来た。

そりゃそうか。私一人のはずがない。

勝さんは、ちょっと寂しかったらしい。

私たち女の子を相手に大いに歌い、飲み、踊った。

夜も更けてきた頃、唐突に尋ねられた。

「お前、彼氏はいるのか?」

聞かれた人達はみんな、すんなりと「います」と答えた。

困った。
私は当時、自分のことにいっぱいいっぱいで恋愛をする余裕はなかった。

余裕で恋愛をするものではないと思うけれど、とにかくそんな相手は
まったくいなかった。

私以外のひとはみんな「いる」と答えている。

「雅美(私の本名)、お前はどうなんだ?」

あぁ…まずい…

「い、います」

張らなくていい見栄を張ってしまうのである。

勝さんは私の眼をじっと見て、ふっと笑ってこう言った。

「神様ってやつぁ、良くしたもんだなぁ…」

センセイ…どういう意味ですかぁ…勝さんは声を上げて笑っていた。

1997年6月21日、勝新太郎さんはこの世を去った。享年65。

不世出の役者だった。

ちんまりとまとまって来た芸能界に、勝さんは収まりきらなかった。

それくらい大きな存在だった。

心の地面はいつでもやわらかくしておけよ

あの渋い声が聞こえて来る。

地中深く眠るマグマのようにグラグラ、フツフツと動かしておくんだ。

とてつもないものが、そこから飛び出してくる可能性があるから。

カチカチに固まった地面からは何も生まれては来ないんだよ

18歳からの数年間、ほんの少しでも同じ時間を生きる事が出来た。

幸せだったと思う。

私にとっては今でも、役者・勝新太郎は、優しくて偉大で寂しがりやな
「勝センセイ」なのだ。

センセイ、あれから20年以上経ちました。
ほんとうに神様ってやつぁ良くしたものみたいです。

役者としては上手く行かなかったけれど、なんとか元気にやってます。

センセイ、いい作品、撮れてますか?

(2002年夏記す)

2017年9月23日 (土)

愛しの勝新太郎さま~舞台裏の宝物 -2-

舞台の袖で成り行きを見ながらそう思いはしたが、この子供っぽさが
天才たる由縁でもあるのかなと、変な納得をしながら見ていた。

そしてようやく千秋楽。

ついに勝さんは「宮本武蔵に出たい」と言い出した。

ラストシーンで、武蔵と僧兵の大立ち回りがある。

そこに出るんだと言ってきかない。

10数人の役者に混じって、僧の衣装をつけ頭巾で顔を隠した勝さんは、
嬉しそうに武蔵と闘って斬られていた。

もちろんお客さんはその他大勢の中に勝新太郎がいるとは気付かない。

中村嘉津雄さんは迷惑だったに違いない。

だが、やはりこの人はただでは引っ込まない。

中央に大きな滝のセットがある。

その右側の少し高くなった岩場に武蔵が立ち二刀流の剣を振りかざして、
大きく見栄をきる。

ラストの決めのポーズだ。

その足元には、斬られた僧兵がごろごろと転がっている。

勝さんも当然そこに倒れているのだが、武蔵のポーズが決まった
瞬間にむっくりと起き上がった。

私もスタッフも、そこにいた全員が息を呑んだ。

勝さんは、舞台の上に落ちていた長槍を拾いぐわんぐわんと回しながら
滝の左側へひらりと飛び移った。

そして、滝の上方で立ち尽くす武蔵に、スローモーションのように
ゆっくりと狙いを定めて、低く鋭く槍を構えた。

それは激しく落ちる滝を挟み、あたかも二匹の龍と虎が睨み合っているような、
壮絶なシーンになった。

時が止まったようだった。
凄惨なまでの美しさ。

研ぎ澄まされた武蔵の精神が場面全体にくっきりと浮き彫りになったような
一瞬だった。

ここで、エンディングのテーマ音楽が鳴り、緞帳が静かに下りた。

袖で見ていた全ての人が、その瞬間、腰が砕けたようにへたり込んでしまった。

アドリブでここまでやってしまうのである。

力のある役者は、こうして自分を生かし相手役も自分の存在そのもので
生かすことが出来るのだった。

旅の間中、この天才の技を幾度も堪能させてもらった。

公演も終盤を迎えたある日、勝さんからホテルのラウンジに来るようにと
呼び出しが掛かった。

緊張して出掛けた私の眼に、ぽつんとひとりでお酒を飲んでいる勝さんが映った。

いつも沢山の人に囲まれていた勝さんがひとりでいるのを見たのは、
その時が初めてだった。

私を見つけると手招きをして自分の横に座れと言う。

怖いことになった。

センセイなにをする気なんだと硬直していると、次々に「売られて行く貧しい娘」
のメンバーがやって来た。

そりゃそうか。私一人のはずがない。

勝さんは、ちょっと寂しかったらしい。

私たち女の子を相手に大いに歌い、飲み、踊った。

夜も更けてきた頃、唐突に尋ねられた。

「お前、彼氏はいるのか?」

聞かれた人達はみんな、すんなりと「います」と答えた。

困った。
私は当時、自分のことにいっぱいいっぱいで恋愛をする余裕はなかった。

余裕で恋愛をするものではないと思うけれど、とにかくそんな相手は
まったくいなかった。

私以外のひとはみんな「いる」と答えている。

「雅美(私の本名)、お前はどうなんだ?」

あぁ…まずい…

「い、います」

張らなくていい見栄を張ってしまうのである。

勝さんは私の眼をじっと見て、ふっと笑ってこう言った。

「神様ってやつぁ、良くしたもんだなぁ…」

センセイ…どういう意味ですかぁ…勝さんは声を上げて笑っていた。

1997年6月21日、勝新太郎さんはこの世を去った。享年65。

不世出の役者だった。

ちんまりとまとまって来た芸能界に、勝さんは収まりきらなかった。

それくらい大きな存在だった。

心の地面はいつでもやわらかくしておけよ

あの渋い声が聞こえて来る。

地中深く眠るマグマのようにグラグラ、フツフツと動かしておくんだ。

とてつもないものが、そこから飛び出してくる可能性があるから。

カチカチに固まった地面からは何も生まれては来ないんだよ

18歳からの数年間、ほんの少しでも同じ時間を生きる事が出来た。

幸せだったと思う。

私にとっては今でも、役者・勝新太郎は、優しくて偉大で寂しがりやな
「勝センセイ」なのだ。

センセイ、あれから20年以上経ちました。
ほんとうに神様ってやつぁ良くしたものみたいです。

役者としては上手く行かなかったけれど、なんとか元気にやってます。

センセイ、いい作品、撮れてますか?

(2002年夏記す)

2017年9月22日 (金)

愛しの勝新太郎さま~舞台裏の宝物 -1-

いよいよ公演が始まるという矢先に萬屋錦之介さんが病に倒れた。

急遽、弟の中村嘉津雄さんが代役に立つことに決定し「宮本武蔵」と「座頭市」の

超豪華二本立ての旅公演が始まることとなった。

甘い考えでお恥ずかしい限りだが、私にとってはまさに修学旅行。

しかも勝新太郎さんとの旅だ。楽しくないはずがない。

出演といっても、舞台をキャーキャーと言いながら通り過ぎる京都の町娘と、

貧しい娘「おさわちゃん」の二役だけ。

セリフは「とっつぁま~」の一言。
時間と余力は充分にある。

勝さんとの時間はお宝の山だもの。
ひとつだって無駄にしたくない。

勉強と称して、いつもピッタリと張りついていた。

舞台の袖で厳しい顔をしていた勝さんも、板に乗っかれば水を得た魚。

酒好き女好きの異色のヒーロー「座頭市」を天真爛漫に演じていた。

その上次々とアドリブをやっては客席を大爆笑に巻き込み、最後にはきっちりと泣かせる。

場の空気を自由自在に操っていて、眩しいくらいに素敵だった。

ところが、出番のない時の勝さん。
こちらもケタ外れだった。

遊女は命からがら女郎屋から抜け出し恋しい男の元へ走った。

男は困惑している。
惚れた女を地獄から救いたい。

だが自分が女を受け入れることはふたりの死をも意味する。

男と女の情感あふれる切なくも美しいシーンだ。

そのセットの裏でこともあろうに勝さんは、出演者にだけ聞こえる声で卑猥な歌を

延々と歌っているのである。

またある時は、必死で演技をしている出演者の目の前のふすまに、
裏からびりびりと穴をあけ、覗き込んでウィンクしたり指でもって
なにやら妖しげなサインを送ったりしていた。

その時出演していた西村晃さんは、真っ赤になって全身を振るわせ、
泣きながら笑いをこらえていた。

センセイ…子供じゃないんだから…

つづく

2017年9月21日 (木)

愛しの勝新太郎さま~そして旅は始まった -3-

私は力なく列に並びながら、全身が小刻みに震えていた。

嬉しくて叫び出しそうだった。すごい!すごい!!

勝新太郎と一緒に芝居を創っちゃった。

興奮して涙がにじんで来る。

笑いたいような泣きたいような不思議な気分だった。


襟首や胸ぐらをつかまれた。叩きつけられた。

それなのに、まったく痛くない。

勝さんは、リアルでしかも美しく見せるための動作を私に教えてくれた。


「今はまだ無理かもしれないけれど、どういう風に転んだら

怪我をしないできちんと見せられるか、勉強しておきなさいよ」


と言われた。


メソメソと泣くだけだった農民の親たちは、絶望する者、金を貰ってさもしく喜ぶ者、

卑屈になる者とそれぞれが個性をもって生きている人々となり娘たちも、逃げたり、

笑ったり怯えたりと豊かな表情を表すようになった。


これが勝新太郎の演出だった。


どんな短いシーンでも、人間が人間として生きている。


その上、私は「おさわ」という役名まで頂戴し、よろけて泣きながら「おさわ~!」と呼ぶ父親に、

花道でくるっと振返り「とっつぁま~!!」と絶叫するセリフまで貰った。


あぁ、ご褒美!

ひとことのセリフに命をかけて、私の旅は始まった。


(2002年夏記す)

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